「政治家が国民を代表する」とは

前回までのおさらい

前々回は、民主主義とはなにかを確認した。

民主主義

国民が政治運営上の権力を持ち、国民の意思をもとにして政治を行う政治体制

民主主義とはなにか - 思考の整理 

 

前回は、直接民主主義と代議制民主主義という民主主義の2つの類型を確認した。そして、代議制民主主義の仕組みを単純化した本人・代理人モデルを紹介した(下図)。

代議制民主主義とはなにか - 思考の整理

  

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今回は、このモデルにおける「委任」の意味についてさらに考えたい。

ただし今回は、有権者→政治家の委任に焦点をしぼる。政治家→官僚の委任については、違った視点で考える必要があると思ったので、別の機会に書くことにする。

 

「政治家が国民を代表する」ってどういう意味?

ここでいう委任とは、国民が持っている政治運営上の権力の一部を、政治家に委ねることを指す。

これは、代表という言葉とほとんど同じ意味だ。

つまり、「政策決定に関して、国民が政治家に委任する」という表現は、より一般的な言い回しでいえば「政治家は国民を代表して、政策決定を行う」というのと同じ意味である。

 

代議制民主主義

構成員が、代表者(代議員)などを介して、所属する共同体の意思決定に間接的に参加し、その意思を反映させる政治制度または思想。

 

この定義にもあるように、代議制民主主義では、政治家が国民の代表者として国の意思決定を行う。

しかし、政治家が国民を代表するとはどういうことなのだろうか。

 

代理と代表

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この点について、政治学者の佐々木毅氏は、著書『民主主義という不思議な仕組み』のなかで、代理と代表という2つの言葉を対比しながら次のように説明している。

 

代理は民法でも規定されているように、われわれの日常生活で広く用いられています。

その基本的な特徴は、代理人があくまで本人のために行動すること、それを前提にして、代理人の行為の責任を本人が引き受けるということです。

これは政治的に言えば、本人の指示に従って代理人は行動すべきであること、その意味で代理人が自主的に行動する余地が極めて狭いことを意味します。

(中略)

代表は代理に比べると、代表者がより自由度を持ち、いちいち指令に従って行動しなくてもよいという点に特徴があります。一言で言えば、代表者は代理人よりも能動的であり、裁量の範囲が広いのです。

その分、「本当に代表しているのか」「何を代表しているのか」がいつも問題になります。

 

つまりこういうことだ。

国民の代表者である政治家は、国民の指示にいちいち従うこともないし、ときに身勝手に思えるような行動をとることもある。しかし、それが国民が指示した行動をとるよりも、政治家がある程度自分の裁量で行動する方が、実は国民のためになるということもありうる。

一方で、もし政治家の行動が国民に不利益をもたらした場合、選挙によって政治家本人の責任が問われる。

政治家が国民を代表するとはそうした意味合いを持っているわけだ。

 

誰を代表するのか

政治家が国民を代表するという表現にある「国民」とは、実際にはかなり抽象的な存在だ。国民は1億人以上いるわけで、それぞれの利害はしばしば対立する。

では、政治家は誰を代表しているのか。この点について考えてみよう。

 

代表するのは、選挙区の有権者?国民全体?

誰を代表するのかという問題で典型的なのは、政治家は選挙区の有権者のみを代表しているのか、それとも国民全体を代表しているのかという問題だ。

 

ある講演で衆議院議員の石破茂氏は、小学校6年生のときにテストで次のような問題が出たという思い出を語っている。

 

国会議員Aはある法案の採決を前に、非常に悩んでいた。

その法案は、国民のためにはなるが、自分の選挙区にはなんの足しにもならない法案である。

国会議員Aはこれに賛成すべきか、反対すべきか。

 

答えは、「たとえ選挙区のためにならなくても、国全体のためになるなら賛成すべき」である。

なぜなら憲法で、国会議員は国民の一部ではなく、全体の利益のために行動しなければならないと定められているからだ。

日本国憲法第15条 第2項 

すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない

 

とはいえ、この憲法の条文がなければどうなのか。疑問は消えない。

 

それに対して前出の佐々木毅氏は、このような国民と選挙民どちらを代表するのかという問題を解決してくれるのが、政党の存在だと説明する。 

 

議会制の場合であれば、議員たちは政党の一員として行動し、それによってはじめて政権運営にあたることができます。政権運営に与る(あずかる)ことができなければ、約束事はほとんど実現できません。

政党は議員たちが一定の政策目的や主義主張を掲げ、集団で国民を代表することを試みるものです。

この集団に属することによって、国民と選挙民のどちらを代表するかといった問題から議員たちは(相当程度)解放されます。その分、議員たちは政党の主張と選挙民の要望との間で「板ばさみ」になることもありますが、それは先の解放に伴うコストなのです。

 

代表していると「みなす」

もともとの問いに戻ろう。政治家は誰を代表するのか。

自分の選挙区の有権者にせよ、国民全体にせよ、それらが様々な利害を抱えた人々からなる集まりなのだから、結局のところ同じ壁に直面する。

結論からいえば、政治家は選挙に勝つということを念頭に、代表したい人を代表している。

そして、選挙を通じて政治家が選挙区の有権者あるいは国民全体を代表していると「みなす」ことで、代議制民主主義は機能している。

代表制が機能するためには、とりあえずであれ何であれ、代表者が人民なり国民なりを、代表していると「みなす」ことが不可欠です。

これがあって初めて、代表者は決定を下し、物事を処理することができます。(『民主主義という不思議な仕組み』)

 

しかし、なぜ「みなす」という遠回りのことをしてまで、代議制民主主義にこだわるのだろうか。

前回見たように、民主主義には直接民主主義という仕組みも存在する。

ではなぜ直接民主主義ではなく、代議制民主主義が選ばれているのか。次回はこの点について考えてみたい。

 

 

参考文献

待鳥聡史『代議制民主主義』

佐々木毅『民主主義という不思議な仕組み』

石破茂「これからの日本の歩み」横浜青年会議所主催 憲法タウンミーティング2013 in かながわでの講演(YouTubeに動画あり)